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2008 / 10 / 11 ( Sat )
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私はそんなにいい女じゃない
2007 / 11 / 29 ( Thu ) 私はそんなにいい女じゃない 笑ってるんじゃない 笑ったように見せているだけ 泣かないんじゃない 泣けないだけ あなたは私を とても強い、と とても優しい、と 言うけれど 強くなんかない 弱くないだけ 優しくなんかない 愛しているだけ―。
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あの頃、私は
2007 / 11 / 28 ( Wed ) あの頃、私は
あの頃、 私は 紅葉の季節が待ち遠しくて 私は 耳を澄ませ 秋の足音を探し 私は 指折り 秋までの距離を数えてた 表情のなかった並木路も 想い想いに 色を染めて 楽しそうなのも 哀しそうなのも それぞれが それぞれに 輝きだす秋が 私は大好きだった あなたの隣で 想い想いに染まるつもりだったのに あなたの色に 染まるつもりで秋を待っていたのに 気がつけば―、 いのちのかぎり 染まりきった葉っぱたちは その役目を終えて それぞれに 旅に出た あの頃、 私は秋が待ち遠しかった―。
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激情という濁流の中で。
2007 / 11 / 27 ( Tue ) 激情という濁流の中で。 この夜を越えれば あなたに逢える 雨水を受けて 氾濫しようとする流れに 身を委ねることで バランスをとる私 決して 穏やかでも 安定もしない この濁流の中で 私は満たされる この夜を越えれば あなたに逢える そう強く思うのと、 同じくらい―。 この夜は明けない事を 私は知っている
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記号の国のレジスタンス。
2007 / 11 / 24 ( Sat ) 人はみな、様々な記号に縛られている。
最近、ふとそんなふうに考えてみることがある。 住んでいる場所は、地図の上に引いた線と数字で示される。 本当は、地球という場所には、 山があって、海があって、川があって。 それぞれに表情がある。 急峻な斜面だったり、火を噴くような乱暴者がいて、 きれいな珊瑚があって、色トリドリの魚が気持ちよさそうに泳ぐ海があって、 氾濫ばかりするヒネクレ者や、日本最後の清流なんて呼ばれてるのもある。 自然には、たくさんの、さまざまな、表情があるけれど、 人間はそれらを一つの言葉で呼ぶ。 『富士山』と、一口に言っても、たくさんの表情があるはずだし、 さらに、その感じ方は、また人それぞれのはずなのに。 でも、私たちが『富士山』と聞けば、 たいていの人の頭に浮かぶのは、 あの独特の稜線に、山頂はもちろん雪化粧をした『あの富士山』だと思う。 きっと示し合わせたようにみんなそう答えるだろう。 そこに『感性』はあるんだろうか。 知らない間に、気が付かない間に 人間は『想像すること』を忘れてしまう。 私はそれを、悪いことだとは思わないけれど、 とても悲しいことだと思う。 とても淋しいことだとも思う。 実は、 何も自分たち以外だけを概念化して、識別してるわけじゃない。 人間は、人間に対しても、同じように、色や記号をつけて識別してる。 もっと言えば、安心してるのかもしれない。 多くの場面で、血液型で人間を4つに分類するし、 (そういう私も血液型占いは結構信じてしまうけれど) 多くの人が心理学や心理テストに興味津々になるのは、 どこかで、目に見えない性格や個性を、目に見えるように識別することで、 なんとなく、安心するからだと思う。 それを悪いことだとは、決して思わない。 目に見えないものを、見たいというのは本能だと思うし、 私もまた、心理テストにそれなりにハマった時期もある。 でも、そのことに気が付かないでいるのは、 悲しいことであり、淋しいことだと思う。 個人情報という言葉があるけれど、 名前だの、住所だの、年齢や、性別や、職業や。 時には、クレジットカードの番号だったり。 それさえ教えれば、たいていの人は安心してくれる。 ビデオだって貸してくれるし、ホテルにも泊まれて、 文字通り、Credit(信用)を得られる。 そこに、『感性』もなければ、『個性』もない。 私たちが暮らす社会というのは、 高齢化やら、少子化やら、情報化やら、 いろんな記号で識別されているけれど、 真実はたくさんあっても、事実は一つだ。 この社会で、生きていかなければならない。 こうやって考えればもっとずっとシンプルだし、 こうやって考えた結果、 私はしばしば『記号』に対して反抗的になろうと思う。 人間には、生まれたときから性別がある。 そして、その『記号』によって、「女らしさ」や「男らしさ」を求められる。 「女らしさ」ってなんだ。 優しく、おしとやかで、料理ができる。 「男らしさ」ってなんだ。 強くて、涙を流さずに、頼りがいがある。 万人がこんな型にはまったら、気持ち悪いことこの上ない。 女はこうで、男はこうって、決まっていれば、もちろん安心するに違いない。 そういう意味で「男は浮気する生き物」というのは意味があるかもしれない。 しかし、その種の安心に、本当に意味はあるのだろうか。 また、年齢についても、同じだ。 年齢に関する質問については、いつも生まれた時から数えた年齢と決まっている。 20歳という年齢は、一般的に若いと言われる。 でも、もしその人の余命が5年と分かってたら、 その人に対して、「まだまだ若いから、楽しい人生がある」なんて言うはずはない。 せいぜい「若いのに」という言い方がやっとだと思う。 人生はいつ終わるかなんて、誰も知らないはずなのに、 誰もが70歳、あるいは80歳まで生きることを前提にしている。 生まれてから何日経ったかで、その人を計り、評価する。 誰も『死』を想定していない。 死ぬ、その日から数えれば、20歳で余命5年と、70歳で余命5年は、同じ意味だ。 5年経てば、死ぬ。という平等な事実。 (実際にそうなるかどうかは、わからないが) そして、死ぬ日が決して分からない以上、 人生は、平等だと思う。 平等に時間がある。平等にチャンスがある。 そんなことは綺麗事だ、と腹を立てる人もいるかもしれない。 社会的には記号で評価されるわけだから、 20歳の青年と、70歳の老人が、平等にチャンスがあるわけはないかもしれない。 でも、老人には、知恵と経験があって、何より『情熱』と『時間』は平等だ。 何よりそこには、『個性』がある。知恵と経験と情熱は、その人にしかない、『個性』だ。 昔、父にこんな話を聞かされた。 太宰治の小説に出てくる話だそうだが、私はまだ読んだことがない。 (それどころか、題名すら忘れてしまっている。) 「ある一人の子どもが、坂道の途中で、どうしようもないほどの腹痛を抱えた。とにかく腹が痛くて、動けないのだが、大人たちはみな口を揃えて、『坂を上りきったところに、薬屋さんがある』と言う。でも、子どもは『それは分かったけれど、今、お腹が痛いこの気持ちはどうしてくれよう』と思ったという話がある。」 とても象徴的だと思う。 大人は経験と知恵を持っているが、子どもはそれを持っていない。 大人の言うことは、いちいち正しい。 しかし、それが必ずしも、子どもにとっても正しいとは限らない。 大人になればわかるようになると思ってたこと、 昔はずっとたくさんあったと思っていたのに。 あるいは、 子どもの頃思い描いた、20歳や30歳はもっと大人だと思っていたのに。 大人になると忘れてしまうこと、 そんなこと、あの頃には思ってもみなかったのに、 結構たくさん、あるのかもしれない。 それも、気が付かないところで私たちは失くしていく。 年齢なんて、生まれた時からの時間なんて、所詮は記号。 年齢が多いからえらいなんて、嘘だ。 それは、知らないことを知っているから偉いわけで、それが所謂『年の功』ってやつだ。 年齢が若くたって、学ぶべきことはあるはずだし、 むしろ、そういう事を忘れてしまった時、人は記号に、囚われる。 何も悪いことじゃない。ただ、悲しくて淋しいこと。 記号の社会の中で生きる、記号の囚人。 それは、とても悲しくて、とても淋しいこと。 記号の国のレジスタンス 想像力を働かせ 死はもうすぐそこにあるわけだ いのちを燃やせ 時間はいつも平等だから 個性を滾らせ 僕はここにいるんだと 感性を磨け ここでこうして歌うために 悲しんでいる暇はない 淋しがっている暇はない 僕はレジスタンス 記号の国のレジスタンス
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夜明けの迷子
2007 / 11 / 23 ( Fri ) 夜明けの迷子 東から 白々と 夜が明けていく 朝日はいつも残酷で 私にいつも時間を突き付ける 夜はいつも優しいから 傷ついた時間を忘れさせてくれるのに いつ明けるともわからない 東の空を見つめて 焦燥と 恐怖と 困惑と そして、 喪失を抱えて それでも時間は 残酷なほど正確に また、朝が来る あなたのいない朝が また来る―。
きょうさんからトラックバックさせていただきました。 きょうさん、ありがとうございました。
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君の声
2007 / 11 / 22 ( Thu ) 君の声 君の声に包まれて 何でもない一日も 何でもある一日も 君の声に包まれて 眠りにつこう 君の声、 安心するんだ 君の声、 聴かせてよ 月のない深夜に 君の声はスウィート 目を閉じると 甘い眠りに誘われて 君の声の心地よさに あとは 身を委ねるだけ―。 君の声、 君の声、 もっと聴かせて―。
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あなたがいなくなれば
2007 / 11 / 21 ( Wed ) あなたがいなくなれば
あなたがいなくなれば 眠る事も 食べる事も きっと私は できなくなる 色を失った珊瑚のように 海の中 口を利くことも できなくなる あなたを失えば 私は色のない世界で生きるの 白い珊瑚のように 孤独な海を彷徨うの―。
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世界征服
2007 / 11 / 20 ( Tue ) 世界征服
にぎやかすぎない 夜の商店街を 君と二人、 手を繋いで歩く 寒い寒いと言いながら 一つのポッケに 二つ手を突っ込んで 君は頭からストールを被った アラブ人 僕はファーフードを被った エスキモー この平和な道を 君と歩けば ここはもう 異世界なんだ 一つ瞼を閉じるあいだに 地球を何周もまわって 海も山も幾千と越えて 閉ざされたシャッターは 幸福の静寂 さびれたネオンは 流れ星 繋いだ手を離すまでは 君は僕のもので 僕は君のもので 世界は ふたりのもの 平和な、 そして穏やかな ふたりだけの世界征服―。
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餞別
2007 / 11 / 16 ( Fri ) 餞別
あなたがくれた餞別は たった一言の言葉だけ。 「もう、ここに戻ってくるなよ」 いくつもの夜を 一緒に超えたあなたが 私に残した最後の言葉には あなたらしさが溢れていた とても儚く、 とても切なげで―。 それでいて 優しかった 子犬のような瞳をしたあなたの 最後の、 勇敢な、 優しさと嘘。 私はこれからお嫁にいくの あなたの優しさと嘘を抱いて
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ふゆのはじまり
2007 / 11 / 15 ( Thu ) ふゆのはじまり
きれいなそらに えがおをむけて ぽかぽかの陽気を からだじゅうに浴びて こころは踊りだすような昼下がり 鼻歌まじりの僕の上には すみわたる 冬の空 すみわたる 冬の空 そうだ、 今日は 思いっきり洗濯をしよう じゃぶじゃぶ ごしごし ぱんぱんぱん すみわたる空の下 きれいな僕になりましょう
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犬
2007 / 11 / 14 ( Wed ) 犬
あなたの事を 真っ直ぐに見ていたい 愚鈍で 馬鹿正直で 愚かしく それでいて―、 素朴に 実直に 誠実に あなたの前で そう在りたい 忠犬のような 賢さは要らないの ただあなたを見ていたい 此処にちょこんと お座りして 誠実に そして、 愚かしく―。
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詩を書くということ。
2007 / 11 / 14 ( Wed ) ようやく、ブログをスタートさせることができました。
もう、ずっと前から、やろうやろうと思っていたくせに、 ぐうたらな性格が、なかなかそうさせてくれなくて。 それでもこうしてブログをスタートさせたのは、 「詩をたくさんの人に読んでもらいたかったから」 という至極簡単な理由に尽きる。 詩を書くことをはじめたのは、たしか15の時だったと思う。 最初は言葉が持つ他面的な力で遊ぶのがとても楽しくて、 気がつくと、日常のそこらへんに落ちているものを、 詩にして遊んでいるようになった。 ただ、誰かに見せるような機会もなく、 (見せられるものだとも思っていなかったけれど) ひっそりと、遊んでいる程度だった。 大人になってからというもの、 世間一般で言われる「大人になると感性が失われる」からなのか、 とんと詩を書くことを忘れてしまっていた。 大人になるということは 色んなものを忘れてしまうことなのかもしれない。 ところが、一年ほど前。 私は詩を書くことを再開した。 あるたった一つの出会いがきっかけだった。 (そのきっかけについては、また追々。) 大人のはずの私も、 すっかりまた言葉遊びに夢中になった。 大人のくせに、感性はまだ少し残っていたらしい。 今になって振り返ってみると、 「感じなかった」というより「感じようとしていなかった」に 近かったような気がする。 (目を閉じていた、というか、とにかくそんな感じ。) こうやって『大人のくせに』なんて表現ばかり使ってると 大人はとってもつまらない生き物のように思えるけど、 実は私はその逆のことを思っている。 大人はたくさんの正しいことに縛られている。 家事や、仕事や、お金や、家や、家族や、友人や、恋人。 もちろんそれらの正しいことは、 どれも『よい意味』をきちんと含んでいる。 でも、どれについても大人には、『しなければならない』ことばかりだ。 働いて、お金を稼がなければならないし、 家族や、友人の前では誠実でなければならない。 家事をしなければ、生きていけないし、 多くの大人は、結婚しなければならないと思っている。 『子供のときは、あんなに自由だったのに』と思ってみる―。 多くの大人が思うことではないだろうか。 でも、『正しいこと』たちは間違いではない。 よくもなければ、わるくもない。ただ、『正しい』だけだ。 だから、大人は葛藤する。 自分という人間がしたいと思うこと、そう在りたいと思うことが いつも『正しいこと』とは限らないからだ。 仕事に行きたくない朝があれば、 家事を放棄してやろうと思う朝だってある。 妻の顔や、母親の顔をしたくない時があって、 恋人に「愛してる」と言い切れない日もあるかもしれない。 そこに、私は大人のおもしろさを見る気がする。 そこにはたくさんの「感性」が潜んでいるはずである。 だから、私は詩を書く。 いくつもの葛藤を形にしたいと思って、 再び、言葉で遊ぶことを始めた。 決して、上手いとは思わないけれど、 私の詩は、ひどく感覚的で、叙情的であると思う。 (万人に受けるものではないことも、心得ている) でも、それでも、こうして誰かに読んでもらえることで たくさんの人と共感できる何かがあればいいなと思う。 これからたくさんの詩を綴っていきたいと思います。 優しくて、乱暴なものや、甘ったるいだけのものや、 ひたすら切ないものや、エロティックなものや。 兎に角。思う儘に綴っていきたいと思います。 基本的に、詩の説明文なんかはのっけないつもり。 説明ほどつまらないものはないと思うし、 何より読んでくれる人のイマジネーションの邪魔になると思うから。 反面、 何か感じてくれたら、とても嬉しいです。 そして、何か形にして伝えてもらえたら、もっと嬉しいです。 共感し合える場所にできたらな、と思っています。
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